手根管症候群と中国鍼灸〔尼崎〕

1.概念


 手根管症候群(carpal tunnel syndrome:CTS)は、手根骨と屈筋支帯(横手根靭帯)によって形成された管(tunnel)内で正中神経が圧迫や機械的刺激を受けて発症する絞扼性障害です。神経の裏側を走行する筋腱の緊張や破格筋の存在によって神経が屈筋支帯に押しつけられるなど、手根管内の圧が何らかの原因で高くなることで発症します。

 CTSは、Paget(1854)によって外傷の後遺症として報告されたのが最初で、その後、両側母指球の萎縮を呈する80歳女性の剖倹例がMarieとFoix(1913)によって報告されています。アメリカ人口の約0.1%に影響を与える可能性がある(Tanaka S,1994)ことや、1997年度では、29,200名が発症していると報告されています(Ablove RH,1994)。

 このように、CTSは手の疼痛や痺れ感を訴える疾患の中でもとくに重要な位置を占めるとともに、絞扼性神経障害の中でも最も有名な疾患であると言えます。
 鍼灸院に来られるケースにおいて、骨折の固定後や何らかの外傷の後に発症したことから、整形外科医は単純にその後遺症と考えて患部の診察をしないまま放置したことが誤診の原因となっている場合があります。重度の運動麻痺が長期間放置され、短母指外転筋の萎縮が著名な場合には、屈筋支帯の切開によって除圧を行っても筋力の回復は思わしくありません。これらの重症例は、当然ながら鍼治療の適応ではありませんが、発症早期の運動麻痺が軽度か無い症例で、疼痛や痺れ感を主訴とする患者さんに対しては鍼治療の効果は期待できます。(図:日本整形外科学会HP)

2.病態生理・機序

屈筋支帯

 

 手根管は、側面と底面を手根骨によって囲まれ、前方には強固な線維性構造である屈筋支帯(横手根靭帯:flexer retinaculum)を屋根とする空間です。橈骨側は船状結節と菱形骨、尺骨側は有鈎骨で構成されています。この空間内において、正中神経の裏側には9本の屈筋腱(長母指屈筋腱、示指から小指の浅(深)指屈筋腱)が走行しています。

 正中神経は手根間内を通過する際に5本の分枝に分かれ、その掌側枝が母指球枝で、背側の4本によって環指橈までの皮膚知覚を支配します。手根管は、手掌部の遠位掌側手首の皮線から抹消にかけて約3㎝の長さがあり、この屈筋支帯の近位は前腕筋膜が肥厚下部分、中央にはかつての名称である、横手根靭帯、さらに、末梢は母指球筋と小指球筋に張る腱膜(aponeurosis)によって構成されています。これらをまとめて、現在は屈筋支帯と呼びます。

 この手掌腱膜末梢の深層に、母指球と小指球の筋膜間に別の線維(distal holdfast fibers of the flexor retinaculcum;DHFFR)が存在し、手根管解放術の際にこの線維の切除が必要であると報告されています(Tanabe,1997)。中でも、正中神経の直ぐ後方を走行する、示指浅指屈筋、さらにその後側の示指深指屈筋が絞扼の要因として重要です。手術例では、浅指屈筋の筋腹が末梢まで延びている異常例や、深指屈筋腱から虫様筋の筋腹が起始して広がっている場合、および手掌腱膜まで延びる長掌筋の破格などが絞扼原因として報告されており、これらの筋のover useが引き金となって発症するものと考えられます。

 屈筋支帯の厚みは2~4mmで、入り口から2~2.5の部位が最も厚く、手関節及び指の屈曲によって圧迫されます(DaSilva M,1996,Steinberg DR,1996,Lanz U.,1997,Robbins H.,1963)。これは、Phalenテストの肢位と同一であり、神経上膜内の動脈圧を上回る圧が加わることで血行障害を起こすと考えられています。また、手根管内を走行する筋の緊張は、神経のglidingを抑制して伸延性を阻害することも考えられます。さらに、手部の交感神経の多くが正中神経とともに走行するため、Raynaud現象も起こります。 image006

 筋の異常以外の原因では、腱鞘炎、リウマチ、サルコイドーシスなどの炎症性疾患や、腫瘍、ガングリオンなどの占拠性病変、外傷や、アミロイドーシス、家族性神経障害、内分泌疾患、ビタミン欠乏などの神経の被損傷性を増加させる疾患なども発症に関連します。
 本症は、圧倒的に女性に多く(7~8倍以上)、発症年齢は、Phalen(1970)によれば、58%が40~60歳(280 women,96men)であったと報告されています。妊娠・出産前後、および閉経前後にもピークがあり、妊婦の21%が発症し、6ヶ月以降増加するものの出産後2週間以内に軽快します。中年の女性で、母指~中指にしびれ感を訴える場合には本症を念頭に診察します。(図:日本整形外科学会HP)

3.症状(診断)

 CTSの主訴は、手の痛みと痺れ感ですが、前腕から肘、肩の痛みを訴えることもあります。症状は、特に夜間に強く不眠を訴えることが特徴です。症状は手作業で悪化しますが、手を振ることで軽快します(flick sign)。
Phalenテストは、胸の前で両手背を合わせて屈曲位を保持させて30~60秒以内に症状が誘発するかを診ます。同様に、背屈させて、伸展テストも行います。また、手根圧迫テストでは、両母指を用いて直接手根管部を30秒間圧迫して、症状発現までの時間を測定します。このテストは、電気生理検査以外では最も感度および特異度が高いと言われています。
Tinel’s signは、手根管部を軽くタッピングして正中神経支配域に電撃感様の痛みの誘発を診るテストで、軸索再生の先端を知ることができます(Tinel’s様signと混合しないこと)。
 知覚障害は、正中神経の固有支配領域である、示指、中指の掌側でDIP関節の末梢を中心に、母指から環指橈側に起こります。筋力は短母指外転筋を調べます。手掌を上にして水平に置き、母指を垂直方向に開かせます(掌側外転)。自力で持ち上げれば抵抗を加えて筋力を測定します(MMT)。
 この時に注意すべきは、短母指外転筋の麻痺がある場合には、長母指外転筋を使用するトリックモーションを使うため、橈骨方向への外転(水平外転)が強く見られます。
 対立運動の簡便な検査として、母指と示指で円を作らせるperfectO試験では、完全な円にならずに楕円形となりますが、完全麻痺でも差が見られない場合もあります。麻痺が長期間におよんだ場合には、母指球の萎縮が著名になります。このような患者では、筋力の良好な回復は望めないと言えます。
 なお、短母指屈筋は尺骨神経の支配を受けているため母指球の尺側は萎縮しないことに留意し、短母指外転筋の萎縮を見落とさないよう注意が必要です。但し、手術前に、これらのテストが全て陰性であった症例の報告もあります。

 手根管症候群では、自覚症状のみで他覚的所見に乏しい軽症例に対して神経伝導速度検査は鋭敏であり、確定診断に威力を発揮します。また、MRI画像によって、圧迫された神経や脱神経筋の判別が可能です。末梢神経が圧迫などによって障害されますと、神経血液関門が破綻するためGd-DTPAを用いた造影MRIではっきりと確認できます。また、脱神経筋は、萎縮による体積減少だけではなく、MRIT2強調画像で高輝度を呈することで判別できます。

 鍼灸の臨床においては、他覚的所見が揃わない場合には判断に苦慮しますが、手根管部の圧痛とTinel’s様signが陽性であれば本症であると推測し、絞扼に関与する前腕の筋の過緊張の緩和とepに対する絞扼部への刺鍼を行い、症状の変化を診ることで治療的診断は可能です。但し、重度の運動麻痺が認められ(MMT;0~1)、尚かつ、その経過が長期間におよんでいる患者では早期の手術治療が必要です。鍼灸は不適応と言えます。(図:日本整形外科学会HP) ryuzakisinkyu_cts03

4.double crush syndrome

 手根管症候群において、“double crush syndrome”という概念が存在するようです。

 以下、防衛医科大学校整形外科 根本孝一氏の文献を引用します。

 “double crush syndrome”は、1973年に、カナダの神経内科医 Upton & McComas が Lancet 誌に発表した仮説である1)。手根管症候群または肘部管症候群の患者115人を電気生理学的に調べたところ81人に頸部神経根障害を認めたが、これは単なる偶然ではなく、背景に軸索流の障害があるだろうと述べた。すなわち、すでに近位で圧迫を受けている神経軸索は、軸索流の障害を生じるので、遠位部において圧迫神経障害に陥りやすくなるという仮説である。また、糖尿病などがあると神経は sick neuron であるため神経易損性が亢進すると述べている。1982年に、根本らはイヌ坐骨神経に重複圧迫神経障害モデルを作り、この仮説を電気生理学的、病理組織学的に証明した。すなわち、既存の圧迫障害を有する神経幹は圧迫部以遠の新たな圧迫に対して易損性を有す。そして、病態を軸索レベルから神経幹レベルに置き換えて、“double lesion neuropathy(重複神経障害)”という名称を提案した2)。1990年、Dahlin & Lundborg は、神経軸索の末梢部の圧迫は軸索流を介して神経体細胞の形態的、生化学的変化を惹起することを実験的に証明した。すなわち、神経圧迫があるとその近位部においても神経の易損性が生じるのであり、この病態を“reversed double crush syndrome”と呼んだ3)。さて、手根管症候群では、手のみならず、前腕、上腕にも痛みが生じることは臨床上経験することである。原因としてまず考えなければならないのは、ご指摘のとおり、“double crush syndrome”であり、頸椎症と手根管症候群の合併である。胸郭出口症候群と手根管症候群の合併も報告されている。さらに“reversed double crush syndrome”も考慮する必要がある。すなわち、手根管症候群は中高年の女性に好発するが、これらの患者には潜在的に頸椎症が存在しており subclinical であったが、末梢の手根管部で正中神経の圧迫性障害が発生したために、中枢における頸椎神経根症の症状が顕在化したと考えられる。ところで、肩関節周囲炎を有する患者では肩の挙上が制限されていることが多い。すると、上肢は常に下垂位をとることになるので、手に浮腫を生じやすくなる。手根管部の結合組織の浮腫は手根管症候群の誘因または増悪因子として作用し得る。この場合、手根管症候群と肩の障害が合併していても、手根管症候群が肩周囲の疼痛を引き起こしたわけではない。また、絞扼性神経障害に対する最近のMRI研究(MR neurography)によれば、従来、手根管症候群とされていた症例の中には、神経炎というべき病態が混在することが明らかになった4)。この場合、神経病変は手根管部に留まらず、より中枢まで拡大しており、当然、症状は手のみならず前腕にも発生する。ちなみにこの神経炎は保存的治療によってよく回復する。

〔文献〕
1)Upton, ARM., McComas, AJ. : Hypothesis. The double crush in nerve entrapment syndromes. Lancet, 2, 359〜362(1973)
2)根本孝一:Double crush syndromeの診断と治療、脊椎脊髄ジャーナル、16、1105〜1110(2003)
3)Dahlin, LB., Lundborg, G. : The neurone and its response to peripheral nerve compression. J. Hand Surg., 15B, 5〜10(1990)
4)有野浩司、根本孝一:手根管症候群のMR neurography、整形・災害外科、51、709〜713(2008)

 手根管症候群を考える場合、上記データ上では「既存の圧迫障害を有する神経幹は圧迫部以遠の新たな圧迫に対して易損性を有す」とあり、“頸椎症の合併”の考慮の必要性が示されています。
 鍼灸師の多くは、手根管症候群の主要な病巣である手根管を狙い撃ちするわけですが、それでは問題解決にならない場合が少なからずあるということです。近位で神経が絞扼を受けている場合、遠位での圧迫によって神経易損性を惹起するようであり、場合によっては神経炎も含め治療マネージメントが必要な症候群と言えます。

妊婦と手根管症候群)
 妊娠と手根管症候群との兼ね合いについては、はり師きゅう師国家試験にお出題されているほど綿密な関係があるようです。では、なぜ“妊娠”と手根管症候群との関係が密接なのでしょうか・・・。女性ホルモンなどによる説明も散見されますが、“むくみ”を原因として説明している文献も目立ちます。

 

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